haruka's profileたわわなわたし2PhotosBlogListsMore Tools Help

たわわなわたし2

童貞の鋭き指にふさもげば葡萄のみどりしたたるばかり(春日井健)

haruka tooku

Occupation
Location
Interests
不思議

Mobile Space Address

There are no photo albums.
June 15

海容

 今週最終回を迎える日本テレビの水曜のドラマに、「アイシテルー海容」というのがある。テーマはいわゆる『源氏物語』でいうところの「心の闇」、つまり親子の情愛ゆえの深い心の闇を描いたもので、近年の少年犯罪が題材となった暗い物語だ。漫画が原作で、ノベライズされた本が今ベストセラーになっているらしい。

 そのタイトルの「海容」という言葉は、この小説のテーマを1語でぴったり表しているなあ、とつくづく思う。それと同時に、こういう使い方もあったんだ、と素直に驚いた。「海容」は「寛容」とほぼ同義で、海のように広い心で相手を許す、という意味である。この言葉は普通、手紙文で用いられる。というか、手紙文でしか見たことがない。

 この言葉は日本人で知らない人も多いかもしれない。私は、去年、勤め先のビジネスメールでこの言葉を使った。相手がこれみよがしにペダンチックな言い回しのメールを送ってくるので、相手のメールを理解できていますよ、というアピールのために、やむなく少し難しい言葉を入れた。下書きの文面を上司にチェックしてもらったら、「この言葉はなあに」と言われた…。

 ネットで調べると、「手紙文でしか使わない言葉をタイトルにつけるなんておかしい」というような意見も出ているようだが、私はこれをきっかけに「海容」という言葉の可能性が広がるといいと思っている。昔は、いい和歌をきっかけに言葉に新たな生命が宿る、というようなことがよくあった。この漫画・ドラマをきっかけに、手紙文以外で「海容」という言葉が使われるようになれば面白い。心の広さが海にたとえられるところは、宗教的な香りも漂う。

June 07

きうす

 最近気になる言葉。「希薄」。

 この言葉には強烈な思い出がある。大学院の1年か2年のときだったと思う。私が院ゼミで発言したとき、あまり何も考えずこの言葉を「きうす」と発音していた。私の無知のなせるわざである。それを、一つ上の先輩から「きうす? 何それ」と冷たい言い方でたしなめられたのである。普段は柔和な先輩の発言だったので、私は一瞬何のことか分からなかったが、とっさに「きうす」という読み方のおかしさ(重箱読みになっている)に気づき、赤面して訂正した。

 でも最近、この言葉を「きうす」と発言している人を何人かきいた。特に覚えているのは、日本語教育学会の3月のシンポジウムでパネラーの一人が何度も「きうす」と発言していて、誰も訂正しようとしなかった。日本語の専門家が集まるこの中で。不思議な気がした。

 もう一度改めて辞書を調べたが、やはり「希薄=きはく」だった。ネットで「希薄 きうす」で検索すると、どうやらこの間違いを犯す人はかなり多いらしい。でも、誤読の例としてそれほど挙げられているわけではないように思う。どうしてみんな「きうす」と読みたくなるのか。

 誤字や誤読は誰にでもあることだ。それに気づけることは幸せである。私は今でもあの時の先輩に感謝している。

May 13

学問の薫り

 この間の日曜、新宿のあるビルの一室に出かけた。社会人向け言語理論講座があり、その申し込みをするためだ。そこには、認知言語学の大家I先生、認知科学の分野の泰斗O先生、日本語文法理論の先端を行くO先生らがいた、いやいらっしゃった。

 ふつう、それらの方々の講義を聴くためには、T大学やK大学などの一流大学に入らねばならないが、その講座では、お金を払いそれらの講師と面接して許可がもらえれば、そういった有名研究者の講義が聴ける。私は、前任校での知り合いで大学の講師をしていらっしゃるK先生にこの講座のことをうかがい、今回受講を決心した。

 まさか、あこがれの先生方とマンツーマンでお話しできると思っていなかったので、このガイダンスにはびっくりした。まず文法のO先生。この先生は、実は学生時代にお世話になっている。私がとなりの学科(国文学)の学生だったからだ。どうも先生は私のことをお忘れのようだった。まあ、ふつうそうだろう。でも、私が「砥部」という愛媛の田舎の出身であることを、よく覚えていてくれたのだが。こちらから、以前お世話になったことを切り出すと、間髪いれず「覚えてるよ」と言った。でも、私の年齢もかなり間違っていて、彼の記憶にないのは明白だった。

 I先生は、私を完全に誰かと間違っていて、「君は常連なんだから今日来なくてもよかったんだよ」といきなり言われた。私は心の中で苦笑しつつ涼しい顔で「今年から受講するのでよろしくお願いします」と述べた。

 大学に入る時、こんなふうに先生を選んで入れたらどんなに楽しいことだろう。もちろん、大学生というのは無知な生き物なので、何も知らず入って新しい学問との出会いに胸ときめかすのも一興だろう。でも、ある程度勉強してから、本当に学びたいと思った人のもとで勉強するのは、一途に恋した人のそばに居られることに似て、これまた違う胸のときめきがある。

May 10

連休の終わり

 久々にお茶のお稽古に行った。稽古に行く回数は、以前に比べると安定してきた。今年は丸一日行く日が多い。おかげでいろんな人と知り合いになり、少しずつなじんできた。

 しかし…休む日も相変わらずあるので、なかなか稽古の中身が進歩しない。家元や師範代の先生の言うとおりに動き、ハントウを勤めても何とかうまくこなすが、自分では動けない。いろいろありすぎて覚えられないのだ(イイワケ)。また、人間の動きというのは、この年になると意外と癖がついているようで、ちょっとしたこともよく注意される。たとえば、お客が飲んだお茶を下げにいくとき、私はついついどこかのお番頭のように手を前に出して両手を重ねる。これは、卑屈に見えてしまうらしく、やらないように、とのことだった。また、私は変なところが左利きになっていて、お茶碗などを、つい左手で扱ってしまう。

 今日はいろいろやらかしてしまった。まず生け花への霧吹き。霧吹きがうまく出ず、水がこぼれてしまい、ポケットにあった適当な紙で拭いてしまった。よくわからないが、これは作法に反する。そのままごまかし、ふくさというものを腰につけたのだが、家元から直々に、「これは裏表が逆です」と注意された。また、私の立つときの足の動きがあわただしいと注意された。正座から立ち上がる時、まず足を「両方」爪立ててからゆっくり立ち上がるのが作法らしい。私は、片足が爪立ったらそのまま力を入れて一気に立ってしまう動作を繰り返してしまった。ああ~反省。

 後で代稽古の先生から、割り稽古を受けた。割り稽古とは、亭主としてお茶をもてなす一連の動作を、部分的に練習することである。私は稽古をさぼっていた上に、来た日もすぐ帰ってしまうので、割り稽古をやってもらったことがほとんどなかった。

 稽古が終わり家に帰ると、足や腹筋が痛かった。お茶とは、こんなに体力を使うものだったのか。身辺が落ち着いてきたので、体力づくり集中力づくりをしなきゃ。

May 08

タイからの便り

 新しい職場に変わってはやひと月。8日間の長かった連休も明けた。前の職場は、それはそれで楽しかったが、今のところもまたいい。日本語と日本語教師養成の2つの仕事ができる点では同じだが、中身はけっこう違っていて、比較できるのが面白い。それはまた、ぼちぼち話そう。

 この1カ月は本当にめまぐるしく過ぎた。前の職場の最後の1カ月が(トップの嫌がらせのため)最悪だったせいか、新しい職場の自由な空気がとても清々しかった。新しい仕事のパターンを覚えるのはおもしろかったが、それはそれで大変だし、新しい人間関係も気を使う。みんな、本当にいい人たちなのだが、やはり最初だから、うまく意思の疎通ができないこともある。また一方で、3月から4月にかけて、いろんな人と飲み会をした。4月の前半は、ほぼ毎日だった。前の職場でお世話になった非常勤の先生たち、養成講座での教え子、古い友人、新しい職場でできた知り合い、などなど。自分がこんなにもいろんな人に支えられていたのだと改めて知った。本当に大切な財産だ。

 GW前にはかなり疲れきっていた。いいところで休みがもらえる。職場が変わる際に全く間をおかなかったので、頭が相当疲れていた。休みに入ってすぐは寝て過ごした。その後、映画を何本も見たり、美術館に行ったりして、心の栄養補給を行なった。前の日本語学校での教え子たちとの飲み会もあった。

 メールも何本も書いた。そのうちの2つは、偶然にもタイに関するものだった。養成講座の教え子、といっても、どちらの方も私の父といってもよさそうな年配の男性。片方は、タイの大学にめでたく就職が決まったが、初めて教えるのでどうしてよいかわからない、というメールが来て、簡単なアドバイスを返信した次第。もうひとつは、すでに1年前にタイに就職した人で、たまたま便りをもらったので返信したのである。

 正直、この人たちとこんなやりとりをする仲になるとは思ってもみなかった。私は、自分に自信がないことや相手の年齢を考え、一応先生の立場をとりつつも、自分の講義・アドバイスを受け入れてもらえるのかどうか、いつも不安だった。でも向こうは、そんな私の悩みはどうでもよかったらしい。タイでの生活を満喫していらっしゃる。なぜタイなのか、そこはいろいろ理由があるのだろう。同じ年ぐらいの年配の男性がタイで日本語教師を始めたのは、決して偶然ではないはずだ。その背景については、おいおい調べていこう。

 今日、また二人から返事が届いた。前者の人からは、アドバイスへの感謝のことばがあった。後者の人からは、現在の様子の写真が添付されていた。学生や同僚タイ人教師に囲まれ、本当にいい笑顔をしていた。

 こういう学生たちを育てられなくなったことは残念だが、転職したことで視界が啓けたこともある。ちょっとだけ度胸が据わってきた。この仕事への責任感。これまでの養成の学生たちが、私を見ている。

March 04

 東京は、今雪が降っている。3月に入ったばかりだというのに、春の足音はまだまだ遠そうだ。

 2月は現在の会社を退職する件でばたばたして、静心ない日々だったが、ようやく落ち着いた。先週末には昨年末に修了した養成講座の教え子たちの何人かと集まり、楽しい時を過ごした。懐かしい友人と落語を見に行ったりした。池袋の演芸場に初めて行ったのだが、思った以上にモダンな演芸場でびっくりした。昭和のいる・こいる師匠の漫才も面白かったし、落語のいろいろな人たちもよかった。終わった直後はそうでもなかったが、次の日じわじわとこれまでのストレスが剥がれおちていく感覚を味わった。

 退職に関しては、また稿を改めていろいろ書きたいが、(学校ではあるが)会社の人達の反応が漫画で読んだようにがらりと変わる、まさに豹変する人がいて、そういう周辺のことが人間臭くて興味深かった。もちろん、私にとってはかなり不愉快なことなのだが、あと少しと思えば十分我慢できる範囲の出来事である。でも、現実とはすぐに思えないようなあからさまな豹変ぶりに、苦笑もするし、自分の人徳のなさも痛感するし、思うところは多かった。

 人生がこんなふうになるなんて、学生時代は想像できなかった。学生時代がついこの間のようにも思えるが、どうあがいてもあの時代には戻れない。そして、これからどんな風に流れていくのだろう。孤独の闇に耐えられるだろうか。

 雪の道は薄汚れながらも輝いて見えることだろう。

February 03

7つの「八雲」

 先日、お茶のお稽古の席で、ある人からこんな質問を受けた。

 島根にある出雲大社に、60年に一度しか参観できない「八雲の図」というのがある。http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/080308/acd0803082121012-n1.htm この八雲の図には、「八雲」なのに、7つしか雲がない。それがどうしてなのか、諸説あるが分からない。古典専門のあなたは、何かご存じないだろうか、と。その人は、取材か何かで昨年出雲大社へ行き、それで興味をもったそうだ。

 へえ~。八雲って8つの雲、という意味だったのか。心の中で、そこが妙に引っかかった。記紀の世界だと、八が神聖な意味のある数字で、たくさんあることを表すイメージがあったからだ。ただ、質問を受けたとき、「八雲=8つの雲」という前提での質問だったので、その引っかかりをうまく説明できなかった。最近、「水村(みずむら)美苗」を「みむら」と誤読していたことに気づいた、という出来事があったので、慎重になっていた。

 でも、おもしろそうだったので、うちでいろいろ調べてみた。以下、その結果報告である。

八雲がなぜ7つなのか。

 インターネット検索によると、「出雲大社の「八雲の絵」はなぜ7つしか無いのに八雲なのですか?」などのQと、それに対する答えがいくつか見つかる。

(1例:http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1416587279

 しかし、インターネットでのQAは、私が見た限り、すべて、「八雲=8つの雲」という意味であることを前提とした話である。そもそも、「やくも」の意味は本当に「8つの雲」という意味なのだろうか。

 8という数字は、古来、8そのものだけでなく、多数の意味としてよく用いられた。「八百万(やおよろず)」や「八つ裂き」などはその例である。古語辞典の中で最も大きい『角川古語大辞典』の「八雲」の項には、「盛んに湧き立つ雲、多くの雲」とある。さらに同辞典の「八雲立つ」の項には、「枕詞。多くの雲が湧き出るの意で、出雲にかかる」とある。

 また、有名な勅撰和歌集である『古今和歌集』の仮名序では、「八雲立つ出雲八重垣妻ごめに八重垣つくるその八重垣を」の歌の注として「すさのをのみことは…出雲の国に宮づくりしたまふ時に、そのところに八いろの雲の立つを見てよみ給へるなり」と述べている。つまり、仮名序によれば、「やくも」とは「八色の雲」というわけである。

 インターネットで調べたところによれば、出雲大社の八雲の絵が描かれたのは、18世紀中ごろのこと。その時代の人たちが、八雲をどう理解していたか、そこが問題となる。この時代、古今和歌集が出版されていたことを考えると、「八雲=八色の雲」と解した可能性はかなり高いのでは。あの絵は、色彩豊かに描かれている。雲があの配置で7つ、も不思議だが、あの雲のカラフルさも十分不思議だ。

 これは、あくまで解釈の一つである。でも、この問題を考える際に、「やくも=8つの雲」という考え方を疑ってみる必要はあると思う。

January 30

さざ波

 今週はいろいろな人とコンタクトをとっている。この間の週末、土曜はお茶のお稽古に久々に参加し、暖かく迎えてもらった。日曜は、多読研究会に、養成の教え子をひきつれて、これまた久しぶりに乗り込んだ。夕方から、古い友人二人と旧交を温める。

 週明けは、なぜか外国人の教え子からの連絡がいくつか。その流れでfacebookというSNSに加入した。前にも誘われていたが、そのときは面倒そうだったので断っていた。mixyに入っているし、サイワールドもやったことがあるが、慣れないうちにやめてしまった。最近は、hi5というのにも入ったが、こちらもなじまない。

 うちの会社のHPに現在のっている、外国人学生へのインタビュー記事がある。シンガポールの学生へのインタビューで、インタビュアーは私。彼らの授業は一度しか担当しなかったが、すごく印象に残った。その人たちと久しぶりにコンタクトがとれた。

 今日はトルコから友人が帰国。なんだか周囲がせわしなく、心に絶えずさざ波がたつ。でも本当の大きな波は、私の心の底から湧きあがる。

January 22

ドラマのチカラ

 東京で今、「恋のチカラ」という古いドラマの再放送をやっている(正確には「いた」)。堤真一と深津絵里が主演のドラマで、大手広告社に勤めるOL本宮(深津)が、その大手広告社から独立する花形デザイナー貫井(堤)に引き抜かれるところから話が始まる。その引き抜きは、実は人違いだったことが後で判明。でも、お互い同じ職場で働くうちに、自分でも気付かないうちに惹かれあう、というようなストーリーだ。(かなりはしょっています。)

 矢田亜希子も出てくるのだが、これが「やまとなでしこ」と同じく堤を好きになって付き合い、最後に振られる、というパターン。私は矢田亜希子のようなタイプが好きなので、実はそれでこのドラマを見始めたのだった。昼間の再放送だったので、わざわざビデオ予約までして。

 でも、見ているうちに、(単純で情けない話だが、)堤扮する貫井の人生に自分を重ねていった。貫井が、大手広告店をやめ、起業・独立するのは、自分が本当にやりたい仕事を追求するためだ。でも、現実にはそううまくは行かず、実力だけで評価を受けるものでもない。また、自分の仕事が認められず、やけを起こすこともある。

 ドラマなので、始まって5分後に浮かび上がった問題・悩みは、大体40分後、長い時は翌週には解決するのだが、現実はそうはいかない。本当にやりたい仕事なんてあるのだろうか。自分が何をしたいのか、そんなに分かっている人がどれほどいるんだろう。

 仕事場の雰囲気がよく、ほとんどの場面で楽しそうに仕事をしていたのが印象的だった。今の自分は、果たして楽しいだろうか。人に話すときは、他の人が体験できないことができるし、面白みもある、というような説明をするが、決してそれがすべてではないことはよく分かっている。

 言葉の面白さ、表現の楽しさを追求し、教えたかったのに、私自身、言葉を楽しんでいるだろうか。俳句を久しぶりに読み始めて、よさを改めて感じた。短歌を読み解くことの面白さ・・・。

 ドラマを見ることもふくめ、人生を楽しく生きることを考え直そう。

January 20

データ派より自己中心派

 最近、俳句を簡単に評する仕事が入った。お世話になっている方が主宰するちょっとした雑誌に俳句投稿欄があるのだ。ひょんな事情から、そのコーナーを任されることになった。最近、和歌などの短詩形文学に親しむ時間がなくなったので、まずは勘を取り戻さなくてはならない。添削の作業もあり、大変そうだ。

 体調もよくなった。本を読む時間も増えた。ブログというのも面白い。先週は結構書いた。その週はアクセス数の伸びがそれほどでもなかったが、今週は2日だけでなかなかの勢い。

 この間、婚活の小特集を見ていたら、アラフォーの人たちが結婚サイトのデータで、年収や身長などを入力しつつ結婚相手を探していた。自分のデータを改めてチェックすると、本当に悲しいものがある。でも、自分の人生、何なのだろうか。そういうデータがその人の価値なのだろうか。確かに価値の一面を表すと言えなくもない。でも、そうじゃない、データにならぬ「ひかるもの」を人生に持つことが必要なのだろう。そういうものをもつ自分でありたい。

 今ほど人生や生き方に真剣に向き合う時期はなかったのではないか。大学生ぐらいにそういう時期を体験するべきだった。これからどれほど切り開くことができるのか。己を恃むしかない。

 
by 
by 
by